ノウカナガイは、「農業」、「狩猟」、「木こり」をはじめとする一次産業に取り組む農家です。
私たちは、「農業生態系」、それに内包されている、生物や作物、人の暮らしの多様性を守り伝えたいという動機のもと、農業を始めました。
畑で美味しい作物をつくることを通して、その周囲の畔や山を、多様性に富む環境にしていきたいと考えています。
具体的なポリシーは、以下の通りです。
● 農薬・化学肥料を使わず、生き物が暮らせる畑をつくる
● 山の落ち葉や畔の草など、近場の有機資源を循環させ畑を肥やす
● 増えすぎた野生生物は捕獲し、木や竹を農業資材として使って、山に程よく手を入れる
● 固定種・在来種にこだわった野菜づくりを通じて、作物の多様性を豊かにする
人が育んできた「農業生態系」
「農業生態系」とは、私たちの心の原風景になっている農村の景色、田畑を含む里山の生態系のことを言っています。
四季折々に咲く花々、子孫を残すため命いっぱいに生きる生物たち、
種々の用途に有用な山野草・薬草、山の恵を楽しむための暮らしの知恵など…
畑の周辺では、作物が生産されるだけではなく、私たち人間にとって有用なものから、そうでもないものも含めて、様々なものがその生命を育んでいます。
農業生態系は、実に、世界の陸地の40%を占めていますが、これらは自然そのものではなく、1万年に渡り人が手を加え続けてきた結果、つくられてきた景色です。我々の慣れ親しんだ原風景は、人間の生産活動なくしては存在しません。そこで育まれてきた生き物たちも同様です。
生産重視の環境改変で失われた多様性
しかしいま、それらは失われようとしています。
煮炊きの燃料には薪ではなくガスを利用するようになりました。
田畑の肥料もラクに散布できるよう、化学肥料が多く用いられ、
そのため山から草木を採取することは減り、人は山から遠ざかりました。
山間の圃場は日照時間が短く、動物にも狙われやすいので、放棄されることも増えました。
一方、農業の工業化・グローバル化が叫ばれる中、生産性を重視した効率的な農業が求められ、土地は大きく改変されてきました。
一枚の圃場を大きく、また真っ直ぐな畦で区切る、
三面張水路にすることで日常の入排水管理をやりやすくする、等
機械が通りやすいよう農道は拡幅され、また圃場の乾田化を進めました。
これらの変化は非常に大きく、この何十年のうちに進んでいます。
農業生態系は、人の暮らし、文化の礎でもある
農業従事者の高齢化が進み、また新規で従事する人は減り続ける中、我々も日々の農業を営む上でこれらの恩恵を大きく受けています。
しかしその変化があまりに急だったため、我々が気づかないうちに、身近に存在していた生き物たちが姿を消し、私達の豊かさの源である「多様性」が失われていっています。これから先も農業を続けていくためと行われた変化は、農村の質を大きく変えました。
昔の畑も、人間の暮らしのために自然を作り変えたものであったものの、その環境改変がの速度が早すぎなかったため、多くの生き物の生活を営む場ともなってきました。そこに在る多様性が礎となり、人がそれらを利用してきたことで、暮らしにおもしろさや多様な生活文化が生まれたと考えています。農村に残る祭りや風習など伝統的な文化に、そこにあった自然や生き物の片鱗が残っているのは、その証左だと思います。
作物を通じて、農業生態系の尊さを伝えたい
今そこにいる生物の多様性は、まさに、その地域の自然の歴史、人と自然の関わりの歴史を表したものなのです。建物や祭礼など、人の文化や伝を残すことと同様に、守り伝える必要があるのではないでしょうか。
一農家にできることは僅かですが、私たちは「農家」として、畑を耕しながら、畑のまわり、里山の生態系を守り、様々な「多様性」を未来に繋いでいきたいと思っています。
そして、私たちの活動を通じて、気に止めたこともなかった生物のこと、食べたこともなかった作物のことなどを、より多くの人に知っていただければ幸いです。
生物多様性の最後の砦、半自然草地
昔の山野は今と姿が全く異なり、林床にも光の当たる二次林だったようです。そのような里山では、様々な野草が生え、肥料や飼葉、煮炊きの燃料として利用されていました。我々が農業を営んでいる福住の過去の写真でも、その様子は見て取れます。
しかし、人が山に入らなくなり、里山の植物の生態系が変わりました。二次林の多くは植林され、スギ・ヒノキ林となり、今となっては管理の手が入らず暗く落ち葉や枝がつもり、植物の生えづらい林床になっています。さらに鹿や猪といった大型の草食動物が増えたことで、林床の植物を食べつくしたり、農地へ出てきて被害を出したりしています。
里山の生息地を脅かされてきたそれらの植物たちが選んだ最後の避難地が、水田の畔や林縁などの半自然草地なのです。
種の多様性を尊重し、美味しい作物を届けたい
私が学んできたものが植物なので、それら中心の書き方となりましたが、里山の生態系の変化は少なからず、農業に関わる昆虫であるハチや、被害を及ぼすカメムシ、また狐や狸など小型の動物などにも関わっています。
生態系のことについて少々語りすぎましたが、 そもそも、作物の栽培が好きで始めた農業です。「農家」として、食卓で楽しんでいただける、美味しい作物を生産し、野菜について新しい発見があるような体験をしてもらいたいと思っています。
作物にも多様性があります。その種々の独特の美味しさをお伝えできるよう、土づくりや施肥から、それぞれの種に適した栽培方法、収穫方法などを見定め、科学的な思考を持って日々研鑽しています。使い方が特徴的な野菜もあります。そうしたものは、使い方もなるべくご一緒に提案したいと思います。>>詳しくは商品についてのページへ
ノウカナガイのある場所、丹波篠山・福住
私たちがここで農家になったのは、ご縁があったからです。
二人とも農家の出身ではありませんが、小さい頃から自然が好きで、憧れていました。
興味関心の赴くままに真理を追求してきた結果、農業を通じて、人と自然が関わってきたこと、その尊さを学び、今の農業を志すに至りました。
篠山・福住は、学生時代から私たちが学ばせてもらっていた地域です。
生態学的にみると、特別、希少な自然が残されている山間地というわけではありません。むしろ、よく整備されかつての風景が残されているエリアは少なくなっています。
大阪・京都・神戸からも近く、今では近代的な生活も可能な里山ですが、 歴史ある土地、建物を守って暮らしてきた人たちも多く、昔の農業の話などを聞くと、頭が下がる思いです。
私たちが頭で考えているだけではとても実現しようのなかったことを、現場で学ばせていただき、あたたかく応援してくださった人たちがいたおかげで、有り難く途につけました。
ノウカナガイは主に二人で活動しています。
代表 長井 拓馬(ながい たくま)
1990年生まれ。大阪府立茨木高校卒、神戸大学農学部および同大学院人間発達環境学研究科修了(理学)。水田畦畔の生物多様性の再生について研究し、現在の基礎となる知識を学ぶ。農学部1回生時、授業で篠山市福住地区西野々集落にお世話になる。以来、サークルを立ち上げ集落の祭りや農業の手伝いを中心に活動を行い、関わりを持ち続ける。大学4回生のときに福住地区へ移住、2014年より地域おこし協力隊(大学院在籍時・半学半域型)を3年間努め、2017年に正式に就農。現在、西野々を中心に約3町の田畑を管理する。
副代表 長井(旧姓:橋田) 薫(ながい かほる)
1993年生まれ。大阪府立茨木高校卒、神戸大学発達科学部卒。 生活環境領域専攻。長井が代表を務めるサークルに参加したことがきっかけで、福住に通う大学生活を送る。2016年、篠山に仕事と住居を移す。2019年ごろより農家の嫁業を本格始動。日々代表に怒られながらも、ともに農業全般に従事。
もちろん、2人以外に助けてくださる方の支えがあって、成り立っています。
2人の、福住との関わり暦
2010年 長井が神戸大学の「農業農村フィールド演習」で福住に訪れる。
2011年 長井が学生団体「ユース六篠」を立ち上げ、月1回程度福住で農業ボランティア、地域イベント(夏祭りや雪花火)の支援、地域資源の聞き書きなどを行う。橋田がサークルに参加。
2012年 「ユース六篠」で週1回程度福住に訪れるように。都市農村交流を目的とした「田んぼアート」やもちの販売なども行う。
2013年 長井が福住に移住。篠山の農業法人、大学の篠山オフィスでアルバイトを始める。「ユース六篠」は橋田が代表を受け継ぎ、地域の伝統的な祭り(八朔祭)の調査や、コミュニティイベント「〇〇先生の日」の企画運営などをおこなう。
2014年 長井が大学院に進学。また篠山市地域おこし協力隊に就任(半学半域)。橋田、福住のまちづくり計画策定に携わる。
2015年 長井、福住で黒大豆の栽培を開始。
2016年 長井、福住で農家になることを決意。橋田、篠山に移住。
2017年 屋号を「ノウカナガイ 」とする。
現在に至る。
ノウカ、ナガイ
代表 長井拓馬
所在地 〒669-2504 兵庫県丹波篠山市西野々442
ノウカナガイ公式Instagram
SNSでも固定種野菜や作物、加工品等のおすすめの食べ方をご紹介しています。
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